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2019/07/15 07:14

最近ようやく翻訳が出版されたエヴリシング・バット・ザ・ガールのトレーシー・ソーンの自伝「安アパートのディスコクイーン」を読みました。




ele-king books/Pヴァイン発行、浅倉卓哉訳。原題は「Bedsit Disco Queen」。写真の左が翻訳書で右が原書です。

本書は381ページと結構なヴォリュームで、翻訳に時間はかかっただろうとは推測できるものの、発売までに5~6年かかってます。リリース遅すぎ。最近トレーシーはエッセイを出し、そのリリース・イヴェントで英国各地を廻っていたりするので、どっち(自伝かエッセイか)が今回日本で発売されたのか一瞬わからなくなりました。いずれエッセイのほうも翻訳されるでしょうが、今度はもっと早く発売して。

今年発売されたAnother Planet - A Teenager in Suburbia ↓


さて本書の内容ですが、タイトルのとおりトレーシー・ソーンの半生を彼女自身が書いたもので、子供時代、マリン・ガールズ結成、ベン・ワットとの出会いとエヴリシング・バット・ザ・ガールのデビュー、音楽で食べていくこと、そして出産・育児といったことが時系列で綴られています。

本書の宣伝文句に「パンク以降の英国音楽に興味のある方、全員必読!!-小山田圭吾」とありますが、日記を基にしたトレーシーの音楽業界の実体験が簡潔かつ克明に書かれており、彼女の音楽のファンでなくとも、音楽好きな人にとってはとにかく興味深い内容です。

本書を読んでいると、EBTGや彼女の作品をとにかく聴きたくなります。また、各章に出てくる他のアーチストの曲も聴きたくなり、思わずi-Tunesをクリックしたりして、読む速度が遅くなったりも(特にトレーシーが心酔していたザ・スミス!)

なので、読むときのサブ・テキストとして、ここでは彼女の音楽キャリアを本書に沿って(YouTubeで)おさらいしてみようと思います。


トレーシー・ソーン(Tracey Thorn)1962年イギリス、ブルックマンズパーク生まれ。パンク・ミュージックとそのDIY精神に影響され、17歳のときに友人と3人組(一時4人)で「マリン・ガールズ」(Marine Girls)を結成。結成3ヶ月のときに自分の部屋で録音した「ア・デイ・バイ・ザ・シー」という自主制作カセット(限定50本!)が注目を集め、インディ・レーベルの「イン・フェイズ」(In Phaze)からシングル、「ワーム!レコーズ」(Whaam! Records)からアルバム・デビュー。このバンドではメイン・ヴォーカルはトレーシーではなく、彼女の担当は(ほとんどの)作詞・作曲とギターとサブ・ヴォーカルでした。

Marine Girls -  On My Mind


その後、彼女はハル大学に進み、今度は「チェリー・レッド」(Cherry Red Records)から「ア・ディスタント・ショア」(A Distant Shore)でソロ・デビュー。また、同じ大学に入学した、すでにチェリー・レッドからシングルをリリースしていたベン・ワットと知り合いエヴリシング・バット・ザ・ガール(EBTG)を結成することになります。

Tracey Thorn - Small Town Girl


ソロ、マリン・ガールズ、EBTGと三足のわらじを履いていた彼女でしたが、マリン・ガールズは悲惨なライヴを行った直後に喧嘩別れし解散。トレーシーはEBTGに集中し84年に「ブランコ・イ・ニグロ」(Blanco y Negro)からEBTGとしてデビュー・シングル「イーチ・アンド・エヴリワン」とアルバム「エデン」(Eden)をリリース。UKのメイン・チャートでそれぞれ28位、14位まで上がるヒットに。

Everything But The Girl - Each and Everyone


EBTGはその後もコンスタントに作品をリリース。88年にはロッド・ステュワートのヒットで知られる「アイ・ドント・ウォント・トゥ・トーク・アバウト・イット」のカバー・シングルが全英3位のヒットとなります。

Everything But The Girl - I Don't Want To Talk About It


ここまで追ってみると、マリン・ガールズ結成から88年のヒットまでとんとん拍子で順風満帆に思えますが、さまざまな葛藤は当然あり、期待したほどレコードが売れていないというレコード会社との軋轢、伸びない観客動員数、音楽の方向性の模索をメインに、けっこう迷走をしています。

そして92年に最大の危機が。

パートナーであるベン・ワットが「チャーグストラウス症候群(好酸球性多発血管炎性肉芽腫症)」という難病に罹り死の淵に。
(このときのことをベン・ワットは「ペイシェント」(Patient)という本に書いているので、いずれこちらの内容解説もする予定です)

Ben Watt - Patient


なんとかこれを乗り越えたふたりは、より絆を深め人生と音楽の迷いを(それなりに)振り切って生きていくことを決意します。

すると状況は好転。

94年にはマッシヴ・アタックとトレーシーの共作である「プロテクション」が全英14位のヒット。

Massive Attack - Protection


クールなヴォーカルとサウンドがすばらしい。ヴィデオも秀逸。タイトルの「Protection」とは防御の意味ですが、歌詞の内容は「あなたを守りたい」というもので、ベンとの闘病のことがモチーフ。松任谷由実の「守ってあげたい」ですね。

そしてベンが復帰しての第1作「アンプリファイド・ハート」(Amplified Heart)をリリースし、小さい箱でのライヴ・ツアーを開始。

95年にはハウス・ミュージックの分野で活躍するDJでプロデューサーのトッド・テリーによるEBTGのシングル「ミッシング」のリミックス・ヴァージョンが全米2位の大ヒットを記録することになりました。

Everything But The Girl - Missing



ついにワールドワイドな成功をつかみ、97年にはU2のワールド・ツアーのフロント・アクトを打診されたりします。しかしこの頃にトレーシーは活動停止をベンに提案。それは一旦反故にされたものの、2000年にフェスに参加した後はEBTGとしての活動は停止します。

98年には帝王切開で双子の女の子を出産。2001年には男の子を出産し、2007年にソロでの活動再開までは育児を主にした生活を行っていました。

2007年の復帰のきっかけになったのは、ドイツのエレクトロニカ・デュオ「ティーフシュワルツ」からのコラボの打診でした。それで制作されたのが「ダメージ」です。

Tracey Thorn ft. Tiefshwarz - Damage


本書には2007年までしか記述がありませんが、その後もソロ活動は続き、2018年までに3作のアルバムを発表しています。

このティーフシュワルツとのコラボや、マッシヴ・アタックとのコラボなど、トレーシーの音楽活動(と人生)には、ほかのアーチストとのコラボレーションがターニング・ポイントになっていることがたくさんあります。EBTG初期ではポール・ウェラー(スタイル・カウンシル)の作品への参加、中期はフェアポート・コンヴェンションのステージへの客演あたりが重要なものです。。トッド・テリーのリミックスというのもコラボの一種でもありますね。あ、EBTGもそもそもベン・ワットとのコラボでした。

そんな中でも、トレーシーが政治的に尖っていた頃に参加した、サイモン・ブースのワーキングウィークのシングル「ヴァンセルモス」が秀逸です。反ピノチェト政権を訴える曲で、当時バリバリの共産党員であったロバート・ワイアットも参加した(いろんな意味で)緊迫感のある作品です。でもトレーシーは80年代半ばにはミュージシャンの政治的スタンスの主張には興味を失ったとのこと。

では、この曲をコラムの〆としましょう。

Working Week ft. Robert Wyatt, Tracey Thorn and Claudia Figueroa - Venceremos


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