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2018/09/21 00:42
~今回は趣味のブログです。すみません。しかも長い~
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今から37年以上昔の1981年4月7日火曜日、NHK-FMで坂本龍一のサウンドストリートが始まりました。

サウンドストリートとは、1978年11月から1987年3月までNHK-FMで放送されていた音楽番組で、山下達郎、甲斐よしひろ、佐野元春、渋谷陽一などがDJをつとめていました。
81年4月からは、当時イエロー・マジック・オーケストラのメンバーであった坂本龍一が火曜日担当のDJをつとめ、アヴァンギャルドな音楽をかけまくって小中学生ファンに影響を与え、またトラウマを植えつけました。
その番組の第1回めの音源が、気がつくと手の届くところにあったので、番組の内容をブログ上でオン・エア・リスト中心に再現しようと思います。10年前にはNHKの配信サービス「NHK青春ラジカセ」で公開もされていましたが、今はなくなっています。あ~、でも音源はYouTubeとかにも探せばありますか。まあ、そっちは権利上問題あるので、ここで正当に疑似体験といきましょう。
では、いってみますか ⇒
☆10時20分。YMOの「BGM」の「サウザンド・ナイヴス」をバックに本人の第一声。
『今週から火曜日サウンドストリートは坂本龍一が担当します。よろしく』
曲はジャパンの「テイキング・アイランズ・イン・アフリカ」に変わり、作曲の由来を話します。
JAPAN - Taking Islands in Africa
『去年(1980年)ロンドンに行っていたとき、デヴィッド・シルヴィアンが、タイトルだけ出来たんで曲書いてくれと言ってきた。なんでロンドンに行っていたかというとB2-UNIT(坂本のソロ・アルバム)を制作に行ってた』

詞ができたから曲書いてではなく、タイトルのみというのがさすがデヴィッド・シルヴィアン(と教授)。ツーカーね。すごい。
「Taking Islands in Africa」はジャパンの4枚目のオリジナル・アルバム『孤独な影』 (Gentlemen Take Polaroids)に収録されています。
そして次に、そのロンドンで制作した坂本龍一の「B2-UNIT」から「ザットネス・アンド・ゼアネス」。
RYUICHI SAKAMOTO - Thatness and Thereness
ザットネス・アンド・ゼアネスは辞書に載っていない心理学の用語で、これについて説明すると長くなるので、とお便りコーナーへ。
「あなたはずいぶんお化粧栄えするお顔ね」とリスナーの手紙にあり。
さらにB2-UNITに関したトピックを続けます。
B2-UNITを聴いた「M」ことロビン・スコットが電話をしてきて、ぜひ一緒にやりたいと言ってきて、教授も今年はいっしょに作品制作したいと答えたと言ってます。
Mことロビン・スコット ↓

この時点ではなにも決まっていないものの、後に結実したのが「左うでの夢」と「The Arrangement」ということになりますね。そして、そのMの「ポップ・ミューヂック」をフル・コーラスでオン・エア。
M - Pop Muzik
曲が終わり、またお便りコーナー。ラジオのDJやるなんて奇行を、とか、これから庶民的アイドルになってしまうのが心配とか、YMOの3人では教授が一番まともな顔、とか、言いたい放題書きたい放題のお手紙。このころは当然ですが、手書きの手紙か葉書です。メールじゃありません。熱意が違います。
YMOの「ライディーン」に「今日の仕事はつらかった」と歌詞をつけて歌うというのがあると聞きましたが、という質問のお便りに「きょおの~しごと~はつらかった~」と、とりあえず歌ってみせる教授。ライディーンの替え歌は大槻ケンヂとケラによるユニット「空手バカボン」の曲である「来るべき世界」が(好事家には)有名ですが、本家のほうがずっと早かったという事実がここで明らかになります。
えっと、放送には関係ありませんが、参考までに貼っときます。
空手バカボン - 来るべき世界
で、話はロンドンでの交友についての話に戻ります。
YMOの世界ツアーでロンドンに行ったときに、ハマースミス・オデオンの楽屋にフライング・リザーズのデヴィッド・カニンガムがやってきたので、B2-UNITを彼にあげて、交換にデヴィッドから新曲のシングルをもらったとのこと。
写真はフライング・リザーズ。奥がデヴィッド・カニンガム

で、もらったシングルはカーティス・メイフィールドのカバーである「ムーヴ・オン・アップ」でした。
FLYING LIZARDS - Move On Up
ラジオでは、もらったそのレコードをかけているのですが、傷があるようで、ループ・ノイズをそのままオン・エアしています。
次は、スロッビング・グリッスルのジェネシス・P・オリッジが終演後の楽屋に来て、できたばかりのシングルをくれたという話。
その曲は「アドレナリン」
THROBBING GRISTLE - Adrenaline
アドレナリンとは化学物質の名前であると説明する教授。今じゃずいぶんと馴染みある物質名になったものです。
『僕より背の低い変わったイギリス人のジェネシスが「ステージの君のコスチュームばかり見てたよ、あれ欲しい」と言われシャツを交換しました』 気に入ってYMOシャツを着たジェネシスが下の写真。

お友達の話シリーズは続きます。
ロンドンでは、ポップグループの兄弟バンドであるスリッツとも知り合った。おもしろい音楽やっている。でも、彼女たち3人が毎日レコーディングに来てじゃますると。
スリッツのみなさん ↓

彼女ら曰く、日本人は感情を出さない。日本人の怒り方を教えてくれと質問されたそうです。そしてスリッツの「インスタント・ヒット」をオン・エア。
THE SLITS - Instant Hit
すんごいアヴァンギャルド、TGよりよっぽど。このヴィデオに出てるように本当に奔放なんですね。
さらに、お友達をもうひとり。
『ロンドンでは、ディスコに写真撮影に行ったら、そこにいたのがスティーヴ・ストレンジ。21歳でとても美形で』

ヴィサージですね。このとき教授はヴィサージュと発声していますが。流れたのは「ムーン・オーヴァー・モスコウ」
VISAGE - Moon Over Moscow
曲が終わって教授『イエローマジックみたいでしょ? 影響されてる』。この曲を聴いた音楽ファンの9割はそう思うことを、すばっと言ってしまいます。似てる。似すぎ。あの頃量産されたテクノ歌謡みたいです。
次に、リスナーが英語の発音の本を送ってくれた話になり、そんなダメな英語の発音で歌ってるのがYMOの「音楽の計画」と自嘲気味に。ということで、最後の最後のここでやっとYMOの曲をフル・コーラスでかけました。
Yellow Magic Orchestra - Music Plans
この頃は、教授が後にインタビューで何度も告白しているように、細野・高橋組と実は仲が悪くなっていたようなので、YMOの曲はあまりかけたくなかったのかもしれません。自分の曲だから「音楽の計画」をかけたのかもしれませんが、普通なら「CUE」をかけるよなあ。
そうこうするうちに終わりの時間がせまってきました。
最後のお言葉は『手紙をくださいね。それとデモテープね。とりあえず来週のゲストは糸井重里。リクエストもくださいね』『これから1年がんばりたいと思いますので応援してくださいね』…1年どころか、ここから5年続くことになりました。
それにしても、80年初頭にフライング・リザーズ、スロッビング・グリッスル、スリッツがNHKラジオでかかるというのは、なかなかすごい。TGなんて、この回のオン・エアーが、日本での最初の放送ではなかったでしょうか。と、思って確認したら、同じNHK-FMの「クロスオーバー・イレブン」でけっこうかかっていましたとさ。
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