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2024/07/03 06:42

1年に1度か2度しか書かないブログを書いております。


突然ですが、このシングルをご存知でしょうか。

いかにも80年代なデザインのレオタードの女性がポーズを取るレコード・ジャケット。これは1979年に制作された矢野顕子のシングル「女、キラキラ。男、そわそわ。 」です。

ジャケ裏はこんな感じ


作曲と編曲は矢野顕子、作詞は糸井重里で、北海道旭川市のファッション・ビルであるams緑屋の開店に際して、イメージ・ソングとして制作されました。つまり非売品シングルです。79年9月の開店前後には、この曲が北海道限定でCMソングとして流れ、amsの1階総合案内所などでレコードが無料配布されました。

タイトルに「幻のシングル」と書きましたが、テレビCMで流れているし、レコードとして万とは言わないまでも、千枚単位で配布されているはずなので、全くもって幻ではないですね。でも、当時は北海道の人と矢野顕子の熱心なファン以外の日本の大多数は知らなかったはずです。今も配信にはありませんし、youtubeなどにも音源はアップされていません。

矢野と糸井の共作と言えば、81年リリースの「春咲小紅」が真っ先に挙げられますが、それより2年前に制作された本作は、その後作られるたくさんの矢野・糸井コラボ作の第1作なのです。

作詞の糸井重里は、ごぞんじ有名なコピーライターで、ほかにもタレントやエッセイストという肩書きがありますが、作詞家としても認知されています。作詞した作品は数多いですが、最も有名で印象的な曲といえば沢田研二の「TOKIO」でしょう。

大ヒットした「TOKIO」は、1979年11月にリリースされたアルバム「TOKIO」のA面1曲目に収録され、80年1月1日にはシングル・リリースされて大ヒット。オリコンの8位まで上昇し、テレビでは沢田がパラシュートを背負って歌い、話題になりました。

この曲で作詞家としての糸井重里が初めて注目されたと考えられますが、となると、それより早いリリース作である「女、キラキラ 」は、もしかして糸井の作詞デビュー作ということでしょうか?

調べたところ、これは作詞家糸井のデビュー作ではありませんでした。糸井は78年に、矢沢永吉の聞き書き自伝「成りあがり」を上梓し、その関係というか流れからか79年4月発売の矢沢のシングル「I say Good-Bye, So Good Bye」のB面曲「天使たちの場所」で作詞を担当します。これが作詞家糸井の初のリリースものだと思われます。6月に発売されたアルバム「Kiss Me Please」では、もう1曲「ワン・ナイト・ショー」も提供しています。

その矢沢作品から「TOKIO」がリリースされるまでの期間に、作詞・糸井のクレジットがある作品は見つからないので(もちろん同時期に並行して他のアーティスト作品の詞を制作していた可能性もありますが)「女、キラキラ」は、糸井の3作目の作詞担当作ということになるでしょう。

さて、次に「女、キラキラ」のサウンドについてですが、79年ということもあってテクノポップ色は控えめで、フュージョン寄りなニューミュージックといったところ。今なら、シティーポップの文脈で語れる作品でしょう。でも、一聴して、その完成度の高さとタイトな演奏に気がつくと思います。マニアというかファンとしては、演奏者が誰かに興味がわきますが、こういった「おしごと」な作品なため、ジャケットには演奏者やプロデューサー、エンジニア等の情報は載っていません。

79年の矢野顕子は、ライヴ・アルバム「東京は夜の7時」をリリースしており、そのバンド・メンバーはYMOの3人にギターで松原正樹、パーカッションに浜口茂外也という布陣でした。なので、恐らく「女、キラキラ」もYMOの3人と、松原正樹が演奏者であると考えられますが、同年に参加した渡辺香津美の「KYLYN」や坂本龍一の「サマー・ナーヴス」では、細野は参加していませんし、ギタリストには鈴木茂や大村憲司の名前があるので、YMO+松原という確信も揺らぎます。ベースは小原礼の可能性もありか。でも、弾きまくっているギターは松原正樹である気がします。可能性と言えば、渡辺香津美はこういった「おしごと」はやらないでしょう。


こんないきさつのある作品なので、当然オリジナル・アルバムには未収録。そして、どのコンピレーション・アルバムにも収録されたことはありませんでした。この非売品のアナログ媒体でしか聴くことができないのです。

しかし、2016年9月、矢野顕子デビュー40周年を記念してリリースされたコンピレーション「矢野山脈」の完全生産限定盤(完売で既に廃盤)に「女、キラキラ」が遂に収録されました。

矢野顕子 40th Anniversary ALL TIME BEST ALBUM 『矢野山脈』 Trailer


ライヴでも、一度も演奏されたことはないと考えられますが、その40周年関連で、2016年9月2日に新宿文化センター大ホールで行われた「矢野顕子 ふたりでジャンボリー 糸井が書いて矢野が歌う1101曲(の予定)」というイヴェントで一度だけ歌われました。

このイヴェントは、糸井重里がトーク、矢野顕子が歌とピアノで出演した一種のジョイント・コンサートなのですが、3曲目にふたりの初の共作曲ということで「女、キラキラ」を披露したそうです。トークの中で「女、キラキラ」は有名なCM音楽ディレクターであるON・アソシエイツの大森昭男氏経由の「おしごと」であったということが話されたそうです。「女、キラキラ」制作の時には矢野と糸井は顔を合わせておらず、初めて会ったのは糸井のアルバム「ペンギニズム」の時であったと、後のインタビューで矢野が語っています。

では、その後というか現在のamsはどうなっているのでしょうか。

amsは開店から2年後の81年に、北海道緑屋と旭川西武の合併によって店名が「西武百貨店旭川店A館」に変わり早くも消滅。でも西武百貨店の分館として営業を続けます。バブルとその崩壊、西武グループの隆盛と衰退、リーマン・ショック等を乗り越えて奮闘するも、2016年9月30日に力尽きて閉店となりました。

前記の矢野顕子デビュー40周年のイヴェントで「女、キラキラ」が歌われたのが2016年9月。西武百貨店旭川店A館の閉店も同年同月。なにか因縁を感じさせるシンクロニシティですが、それはシンプルにタイミングということでしょうね。

糸井重里は、80年代はまさに時代の寵児でしたが、その後はアイデンティティであるコピーライター業から軸足がぶれ、会社経営を増やしたり、ゲーム制作に関わったり、埋蔵金を掘ったり、文具を売ったりと、トリックスターのような活動を続け、今でも全盛期の10000分の1ほどの影響力を保持しつつ情報発信を続けています。

一方、東京とニューヨークを頻繁に行き来し、精力的にライヴを行い、作品も多作で、その忙しさをマイペースと言って歌い続けている矢野顕子の強靭さは相変わらずです。素晴らしい。天才。(完)


【参考資料と引用元】

akikoyano.com

My Collection of The Works of Akiko Yano やのコレ(JK-ism)

ほぼ日刊イトイ新聞 矢野顕子は糸井重里の言葉をどうやって歌にするのか

Victor Online Store

ほかにWikipedia、Discogs など
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★ 送料は17センチEP、7インチシングルは『クリックポスト』で何枚でもまとめて200円です。★ 30センチLP、10~12インチEP、ボックスセットは『定形外郵便』で何枚でもまとめて700円です。☆補償ありの『ゆうパック』は地域別に900円からですが、1回の注文が税込8000円以上なら送料無料です(ご希望配達日時を備考欄にお書きください)☆LPとEPの同梱も当然可能です。その他ご要望承りますので、ご注文の際に備考欄にご記入ください★☆ ☆★2024年10月1日から郵便料金が値上げになりましたが、マメシバレコードは今回は送料据え置きです。☆★ ☆1回の注文額が8000円以上でゆうパックの送料が無料になります。よろしくお願いいたします☆

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