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2022/10/08 09:34
話題の映画「アザー・ミュージック」を観てきました、の後編です。
前編 ↓
ニューヨークに住んでいた時に、もっとも頻繁に行っていたレコード店はアザー・ミュージックでしたが、ほかのレコード店にも当然行っていました。
アザー・ミュージックの次に頻繁に行ったのはヴァージン・メガストアです。在庫数やジャンルの多さは圧倒的。その名の通りのメガストアです。そして値段も安かった。カフェもあるし、ブック・コーナーも充実していました。日本の漫画もたくさん売っていて、大友克洋の「童夢」がずらっと並んでいたことを覚えています。ヴァージンはミッドタウンにあり、地下鉄に乗らなくてはならないので、だいたい週末に行っていました。金額的にはヴァージンに最も払っていたと思います。アザー・ミュージックは2番でタワレコは3番目。HMVは実はほとんど記憶にないのです。ひっそりとある小さいレコード店のいくつかにも時々行っていましたが、この頃はレコードではなくCD、そして中古ではなく新品のソフトを主に買っていたので、あまり印象に残る店はありませんでした。
CDの値段に関して言えば、アザー・ミュージックは安くありませんでした。輸入盤だったり、マイナーであまり流通していない作品が多いので総じて高めです。一方ヴァージンでは、新譜は大体15ドルで、1か月もしないうちに10ドルになり、しばらくして見てみると7ドルになっていたりととにかく安いのです。旧譜は3枚9ドル99セントなんてものもざら。別にエクストリームな音楽作品に限定して聴いていたわけではないので、流行りのCDも定番の旧譜も買います。というか、そっちのほうが多かったくらいで。当時の為替レートは1ドル120円前後だったので、新品のCD3枚が1200円です。でも値段に関係なく、アザー・ミュージックでなければというかアザー・ミュージックだから出会える音楽も重要なのです。タワレコとアザー・ミュージックのご近所での棲み分けと同じく、私の中でも買うものの種類でアザー・ミュージックと大店舗で棲み分けがあったということです。
たしか97年の初夏あたりでしょうか、タワレコではニューヨリカン・ソウルのファースト・アルバム、ヴァージン・メガストアではプロディジーの「Fat Of The Land」がとにかくヘヴィ・ローテーションされていたことがありました。一方その頃のアザー・ミュージックでは、ボインボインボインというふざけたようなドラムマシンの高速ビートに、男女の絶叫が被さるという狂った音楽が店内に流れていました。ある日、店に入ってすぐそれに耳を惹かれ、あまりのインパクトにショックを受けた私は、早速カウンターの店員(あれは確かにジョシュだったね)に「このエクストリームなのは誰なの?!」と尋ねました。彼は背後にあるCDデッキの停止ボタンを押してイジェクトし、出てきたCDを手元にあったプラケースに入れて僕に渡しました。
「はいこれ。15ドルね」
店内用にかけていた使用済のCDを、何の説明もなく客になかば押し売り的に売るということに面喰いながら受け取ったのはアタリ・ティーンエイジ・ライオット(ATR)の「Delete Yourself!」でした。
Atari Teenage Riot - Start The Riot
このCDをきっかけに、しばらくはATRのレーベルであるデジタル・ハードコア・レコーディングスのリリースものとリーダーのアレック・エンパイア関連の作品ばかり追いかけて聴いていました。
アザー・ミュージックの21年の歴史の中でもっとも売れた(売った)のはベル・アンド・セバスチャンの「If You're Feeling Sinister」だったそうですが、これもアメリカではアザー・ミュージックに行かなければ出会わない類の作品でしょう。個人的には、ギターポップのようなオーガニックなサウンドより、エレクトロなジャンルが当時の好みだったので購入しませんでした。ワタシ的に、アザー・ミュージックで最もたくさん買ったのは前述のATR関連ものとジョン・マッケンタイア関連です。特にマッケンタイアがプロデュースしたステレオラブは気に入って片っ端から聴きました。これもきっかけは店のReccomendに「Emperor Tomato Ketchup」があって手に取ったということだったと思いますが、アヴァンギャルドなのにポップで聴きやすく、一発で虜になりました。ナップサックの中のポータブルCDプレーヤーに「Emperor Tomato Ketchup」を入れて聴きながらよく歩いたものです。限定盤ということで、レコードプレーヤーもないのにステレオラブとナース・ウィズ・ウーンドのコラボ作「Simple Headphone Mind」のアナログ盤も購入しました。90年代半ば以降、ポスト・ロックやシカゴ音響派が最先端の音楽のひとつとされていたので、トータスやガスター・デル・ソルなどジョン・マッケンタイアの関わったものはたくさん聴きましたが、このあたりのエクスペリメンタルな音楽作品をアザー・ミュージックではたくさん取り扱っていたと思います。ステレオラブはポスト・ロックというより、言うなればポスト・テクノポップというような印象があり、ずっと好きで、ATRとは違って今でも聴きますし、来日公演にも行きました。
Stereolab – Cybele's Reverie
トピックはまだまだいろいろあります。他のお気に入りスポットのこと、観たライヴといろいろなライヴハウスのことなど。また気が向いたら書いてみようと思いますが、今回はアザー・ミュージック中心なのでこの辺で終わりにします。
さて、アザー・ミュージックの終焉ではなく、私のアザー・ミュージック常連の終焉は、ニューヨーク着任の時と同じように急に訪れました。今度は東京オフィスの欠員補助です。感傷的になる暇もなく引っ越しを依頼し、さかりが始まってしまった猫を連れて97年の夏に帰国しました。引っ越し荷物の段ボールがいくつか紛失し、大事なレコード数枚が日本に届かなかったのには泣きました。突然赴任が決まり、そして突然帰国が決まるという、会社の意向に振り回された出来事ではありましたが、若かったということもあるし、面白い経験もしたので、(今となっては)感謝こそすれ恨みはありません。
帰国後は、ニューヨークでのことを振り返ることもなく、アザー・ミュージックのことを思い出すこともなくなりました。そんなに簡単に忘れてしまうものかと言われてしまいそうですが、それは本当のことで、日本に帰ってきたら新しい音楽を追うことにあまり積極的でなくなり、昔聴いていた音楽を振り返って聴いたりするようになりました。今自己分析すれば、ニューヨークでの緊張した生活の中では、メルツバウやアタリ・ティーンエイジ・ライオットのような過剰で刺激的な音楽を、耳と体と心が欲していたということでしょう。緊張を弛緩させるチルアウトする音楽じゃなかったのは、自分の性格というか性質なんでしょう。
その後、2008年に約10年ぶりにニューヨークを(観光で)訪れたのですが、時間が限られていたこともあって店の前を通りがかっただけでした。「ああ、まだやってるね。懐かしい。よかったよかった」と安心して終わり。行っとけばよかった。店に入ってなにか買って、レジで「10年ぶりに来たよ。お久しぶり。覚えてる?」とか言ってみたらどうだったでしょうか。一言「Who?(和訳:誰なん?。こういうやつ、今日3人目だぜ)」で終わりだったでしょうね。
その後20年余、日本での生活と仕事の忙しさに追われて今に至るってことで、あまりにも端折りすぎですが、今回は関係ないのでそれには触れません。
最後に、映画そのものの感想ですが、面白かったし不満はないものの、閉店を知ってからカメラを回してそれをメインに映画にするというのは、ちょっと無理があるなとは思いました。監督のふたりは、閉店の報を聞いて居ても立っても居られず、カメラを持って馳せ参じたんだと思いますが、結局は閉店まで淡々と営業が続き、閉店しても余韻を感じる暇もなく店舗はまっさらになってしまい、ドラマチックな展開はほぼありませんでした。それもまた物語ですが、どうせなら、退職した店員、行き場を失った常連客、そして経営者のふたりが1年後にどうしているかを追って付け足して1時間半の映画にしたほうが良かったのではと思ったりします。
つまるところ、この映画は経営者、店員、常連客やファンにとっての動画版卒業アルバムなんだと思います。腐しているわけではありません。その価値で十分でしょう。
まあ、そんなことを考えながらも、とにかく私には刺さりました。ほぼ満点。こうやっていろいろ思い出すことができたし。アザー・ミュージックに通っていた頃というのは、遅れて来た青春時代だったのでしょうね。
そう言えば、実をいうとこの映画を観るまで、アザー・ミュージックが映画になるほどの大きな存在になっていたことを知りませんでした。知りませんというのはちょっと違いますね。実感できていなかったということです。やぱり現地にいないとわからない。もちろん、ニューヨークの有名店として認知されていることは知っていましたが、ファンやスタッフの思い入れがこんなに深い店になっていたとは知りませんでした。だって基本的にマニアックな店なんですよ。
もしこうして映画化されていなかったら、アザー・ミュージックは、私にとってほんの一時期の行きつけの店のひとつとして記憶の中に埋もれたままになったかもしれません。だから、映画になって世界中に広まり、有名ミュージシャンが店をこぞって評価したり、みんなが閉店を残念に思ったりするのはちょっと嬉しかったり誇らしかったりします。
アザー・ミュージックが閉店するということは当然ネットで知りました。残念というより、このご時世やっぱり実店舗経営は難しいか、とその時は冷静に受けとめただけでしたが、今回映画を観てからは、個人商店を経営するということはどういうことか、理想の店とはどういうものか、ということを考えるようになりました。
今ネットのレコード店を運営しているわけですが、始めたのは2017年で、別に2016年のアザー・ミュージックの閉店に触発されてということではありません。ただ、いずれは実店舗にしようと計画していたので、そのイメージのひとつはもちろんアザー・ミュージックでした。でも、それは店の外観とか陳列とかそういうことで、変わった店員とかのユニークさを踏襲したいということではありません。というか、取り扱い商品以外でユニークな部分があったとは、映画を観るまでよくわからなかったんだから。だけど、これからの個人商店はモノを売るだけの一方通行ではだめでしょう。アザー・ミュージックは世界的に有名という以上に、あの地域のコミュニティの構成員としての役割が大きかった。個人商店は否応なしにそういう役割を担わないと。ニューヨークは物価と家賃の高騰で、アザー・ミュージックのような素敵な店は今はそう見つからないでしょうが、日本にはそんな店というかレコード店がまだまだいっぱいあるはずです。東京なら、形態はちがうものの、さしあたりレコードコンビニでしょうかね。
蛇足です。
映画を観た人の多くが思ったと思うんですけど、アザー・ミュージックはやはり復活するんじゃないでしょうか。マンハッタンではなく比較的家賃の安いブルックリンやホーボーケンあたりで。経営者が代わったり、店員はそんなに雇えなかったりするかもしれないけど。クラウド・ファンディングかな、やっぱり。意外と東京に現れたりとかね。(完)
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