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2023/03/27 08:41

イギリスの夫婦デュオ、エヴリシング・バット・ザ・ガールの11作目のアルバム「Fuse」が4月にリリースされます。99年の「Tenparamental」以来24年ぶりのアルバムです。



そのアルバムに先駆け収録予定の3曲が既にお披露目されています。まずは1月に発表された「Nothing Left to Lose」をどうぞ。


Everything but The Girl - Nothing Left to Lose

四半世紀ぶりの新作ははたしてどんな作品にになるかと想像し

①初期ネオアコやギターポップなアコースティック・ミュージック
②中期、アメリカでレコーディングしたおしゃれなAOR
③後期のエレクトロでクールなダンス・ミュージック

の3つを挙げてみたんですが、やはりというか③のサウンドでした。もちろん、近いうちにリリースされるアルバム全曲が、シングルと同じようなテイストの曲になるかはわかりませんが、お披露目されている3曲はそんな感じなのでぶれはないでしょう。トレイシーの声も年齢を経て深みを増しています。

満を持しての新作ということで、話題にもニュースにもなっていますし、もちろん待望した人も多かったわけですが、彼らは95年まではコンスタントに作品をリリースし、時にはヒット曲も出し、デュオでの活動がなくなってからも、トレイシー・ソーンはソロ・アルバムを制作し、一方でエッセイストというか作家の活動も活発だったので、空白感はあまり感じません。ベン・ワットは割と最近(2009年か)に来日公演もしているし。2000年の解散理由も育児だったりして、充実感というか順風満帆な音楽活動をしてきたという感じがします。
事実、EBTGは英国で8枚のゴールド・アルバムと1枚のプラチナ・アルバム、アメリカでも1枚のゴールド・アルバムを獲得し、1995年にはシングルの「Missing」がビルボード・ホット100の2位にランクインするという大成功を納めた経験があります。なので、数字だけ見るとEBTGはデビュー以来、たしかに順風満帆というイメージがありますね。

しかしながら、ちょっと調べてみると、過去にはピンチもありました。やはり夫婦(実際の入籍は2009年)としての危機は当然。ちょうど来日公演を行っていた90年、宿泊場所であった東京のホテルは、別々の部屋をとっていたとトレイシーの自伝「Bedsit Disco Queen; How I Grew Up and Tried to Be a Pop Star」(邦題:安アパートのディスコクイーン - トレイシー・ソーン自伝 訳:浅倉卓弥)にそう記述があります。
→※以前書いたブログ「トレーシーソーン自伝に沿ってEBTGと彼女のキャリアを追ってみました」

でもそんなことはまあよくあること。最悪だったのは、92年、持病であった喘息を発端としたベン・ワットの体調の急激な悪化にまつわることでした。

一部の音楽ファンには有名な話と言えるかもしれませんが、1992年4月まで続いた日本ツアーの後、アメリカ・ツアー出発までの短いブランクの6月、ベンは体調不良を訴えて病院に担ぎ込まれることになります(アメリカに旅立つ前日のできごとであったという話もあります)。ベッドに乗ったまま、病院の様々な診療科をたらいまわしにされ、病名さえわからずに生命の危機を感じながら9週間の間、入院しました。その間、何度も心臓発作を起こし三途の川を渡りそうになります。

2023年に新作を発表したわけですから、当然生還したのですが、結果として病名「チャーグ・ストラウス症候群」という全身の動脈に壊死性血管炎を生じる病気であることが判明しました。自己免疫疾患で、特に肺動脈を侵す病気であったため、喘息持ちのベンには強烈な症状が表れていたようです。症例数が少ないため、大規模な臨床研究を行いにくく、診断指針、治療指針はその時点ではまとまっているとはいい難いもので、日本でも厚生労働省の指定する特定疾患、いわゆる難病のひとつと定められています。その後、2012年には医学会議によって好酸球性多発血管炎性肉芽腫症(Eosinophilic granulomatosis with polyangiitisつまりEGPA)という全身の動脈に炎症が起こる病気と定義・分類されました。

この病気でベンの小腸の大部分が壊死し、その85%を切除することに。そのため退院してから現在までストリクトな食事制限を行っています。最近のアー写のやせこけ眼光鋭いベンの姿はこれによるものでしょう。決して老いとかドラッグとかではないのです。ドラッグに手を出したら簡単に死んでしまいますな。

そして、この時の体験談というか顛末は、96年になって「Patient」というタイトルの回想録として出版されました。



ベンにとって初の著作物で、出版元は名門のPenguin Books。当時死にそうになっていたのに、いろいろなことを記録し、また客観視できている彼の考察力と筆力はなかなかのもので、この年のいくつかのノンフィクション賞にノミネートされたり賞を受賞しています。

ミュージシャンによる回想録というと、普通は爺さんばあさんになって書くものですが、罹患時29歳という若いミュージシャンの病気からの生還を書いたものは珍しいもの。現在でも廃刊にならず、アマゾンなどどこでも買うことができるというのが、本作が秀作であることの証明であると言えるでしょう。

内容としては、当然トレイシーとの関係性(愛です)についての記述に惹かれますが、この部分は前述「安アパートのディスコクイーン 」を併読すると、より立体的になるのでおすすめです。そういえばですが、ベンがホメオパシー(知らない人や興味ある人は各自調べよ)に頼る場面があって、個人的にはなんだかなあと思ったりもします。意味あるんか?と思いますが、イギリスではけっこうポピュラーだったようで、そういうのを知るのもまた興味深いことではあります。

さて、この危機の後のEBTGですが、92年後半にはもう音楽活動を開始します。オリジナル制作は体力的に厳しいということか、まずはサイモン&ガーファンクルの70年発表作「ニューヨークの少年」(原題:The Only Living Boy In New York)を録音。翌93年にシングルとしてリリースされ全英シングル・チャートの42位まで上昇しました。


Everything But  The Girl - The Only Living Boy In New York



また、リハビリというか、もしくは初心に返るという意味でしょうか、小さなライヴハウスでの演奏も開始します。そして94年にはついに新作「Amplified Heart」を発表。3年ぶりの新作でしたが、ここでレコード会社との契約終了の憂き目に会う一方で、収録曲「Missing」のトッド・テリー・ミックスがじわじわと売れていき、95年にはビルボード・ホット100の2位、全英シングル・チャートの3位まで上がる大ヒットとなるのです。


Everything But The Girl - Missing



そしてレコード会社をヴァージンに移籍し、2枚のアルバムをリリースした後、2000年に(大きな理由は育児として)解散となるのですが、ハル大学での出会いから追えば40年の大河ドラマですから、イギリスではドラマ化はあり得ると思います。どうでしょうか。(完)


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